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4月17日歌会記録

4月17日の歌会記録です。司会は西改。西政でも字面上、特に問題ないです。
この日の歌会は、山田さん、守嶋さん、渡邉さん、安錠さん、西改、そしてゲスト三名を迎えての歌会でした。
終わりごろ、雨に濡れた某師も来た気がします。

〈題詠「光」〉

駅前の大号泣を見送って観光名所にならない歴史/山田誠久
はじめは山田さんの歌から。言いたいことはなんとなくわかるけど、細かく考えると気になる点がいくつか。
自分には関係ない第三者の大号泣を見ているのだとしたら、動いているものに対してつかう「見送って」は少し無理があるのではないかという話や、さっき見た出来事に対して「歴史」という幅のある言葉を持ってくる点、「観光名所にならない」という独特な言い回しに少し違和感を覚えるかも、という意見が出ました。しかしながら、下の句の言い切ってしまう感じが一首の切なさのようなものを引き立たせる効果がありそうです。

理科室は遮光カーテンに護られてみんなが息を潜めた深海/西改美希
全体的に音が重たいという意見が出ました。二句目と結句がともに字余りであること、さらには二句目の「ンに」のn音の連続がもたれるとのことでした。確かに。「みんなが」がなんとなく小学生的で、授業で見た深海のビデオのことだったり、真っ暗な理科室全体が海だったりするのかなって話をしました。ああいうカーテンってなんか強そうですよね。

ペトラルカプノイマチズムパリトキシンポケットゴーファーすぐ発光せよ/安錠ほとり
みんなで苦戦しました。全然意味わかんないけど、音は工夫されていてパ行の音を集めながらリズムよくゴーファーに繋がる感じが好きでした。各単語の意味を調べてもこれといった意味は見いだせず、変身の呪文だったり、光らせる魔法だったりするのかなという結論に至りました。カタカナ語で十分スピードが出ていたので結句の「すぐ」のやわらかさがやや速度ダウンになってしまうのではないかという話も出ました。ちなみに、足りなかったピから始まる言葉は最後「ピカー」で解決らしいです。

光り物…つまり青魚はダメですと告げられ僕から光が消えた/渡邉瑛介
つまりがあるのに三点リーダーはいるのかという話がでました。今考えると、「青魚」もわりと抽象的な説明なので「つまり」の後にくるのは少し気になる点だなと思います。私は光り物と言われれば魚なのですが、まず浮かぶのは宝石だという人も一定数いて驚きでした。僕はどういう立場の人なんだろう…という話では君を寿司屋さんに連れて行こうとしていた人、僕はお寿司屋さんである、僕は光り物自身である、という意見が出ました。魚から光が消えるときは死んだ時だと思うのですが、魚が「もう食べられる準備をしたのに食べられないのか…」と息絶えながら思ってたらどうしよう。

このほか、鈴木さんとゲストでいらしてくださっていた神大短歌会の懶い河獺さんが歌を出してくれました。
いつの間にかリカちゃんがお母さんになっていた話とかして盛り上がりました。

〈自由詠〉
休日に水族館でぼーっとしてときどき歩く無給のバイト/安錠ほとり
一人で歩いている説、デートをしている説、子供を連れてきたお父さん説、ペンギン目線説などがあがりました。「ぼーっとしてときどき」のテンションが一人っぽくて、バイトというのもやりたいこととやるべきことの間みたいにとらえている主体のテンションを表しているのだと思い、私は完全に一人読みをしていたのですが、一人じゃない説がたくさんあがってなるほど…と思いました。
無給のバイト、とは一見だるそうに思えますが相手のことが大好きだからこその無給バイトであり、ぼーっとするんだそうです。某恋愛マスターより。


ほころびがあるなら今日というような春の一日を寝て過ごしたり/山田誠久
一読して、私は寝て過ごしたから今日がほころびになった、過去を振り返って自分の人生にほころびがあるとしたら一日寝て過ごしたあの日だったな、みたいな歌なのかと思いました。しかし、ちょっと起きてみて今日なんとなく自分ダメっぽい(今日ほころびっぽい)から一日寝てようと思って一日寝たという読みも出て、確かにこの流れのほうが歌の流れに沿っているなと思いました。正しい読みというのは一概には言えませんが、一人で読んでいるとなんとなく最初に思ったイメージで勝手に進めて歌を置いてけぼりにしてしまう癖があるので反省しました。
この場合の「ほころび」はおそらく「穴」のようなマイナスイメージだと思うのですが、言葉としては「顔がほころぶ」のようにプラスイメージもあるね、という話なんかもしました。

このほか懶い河獺さんと西改の歌がありました。


そしてなんと、この日歌会に来てくださっていた三名が正式に阪短に入会してくださいました!ありがとうございます。
詳しい情報は、いつか更新されるはずのホームページの会員紹介で。
ではでは。

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4/7 新歓歌会

久々に歌会記録書きます。佐原です。
新入生のフレッシュネスに負けないよう、四月は柑橘類を多く摂ろうと思います。

記録に入ります。

人数がそろうまで時間があったので、「たほいや」というゲームを広めました。
詳しくはWikipediaなどで確認してください。面白くて知的なゲームです。

今回の詠草提出は自由詠一首。


あいねくらいね 動かなくなった指先で弾きあうだけの関係がある 山田誠久

司会、完全に「弾き」と「はじき」と読んでしまっていました。まあ「あいねくらいね」と定型から行けば「ひき」なのですが、私は「指先」に引っ張られた感じがします。下の句の「だけ」の意味が、限定なのか程度なのかでかなり迷いました。


盲目の少女の前にひんやりとすべてのはなはひらかれており 佐原キオ

「はな」を(わざとらしく)開いちゃったせいで、「鼻」読みが出てきました。まあ点字ってだいたいひらがなしかないよね、という話です。


だるまさんがころんで5秒後切り取ってどこかの寺の石庭にする 渡邉瑛介

だるまさんがころんだをやってる子供たち(子供でなくてもよい)の停止した配置が石庭っぽい、ということだと思います。
ただ、単純に似ているといわず、「石庭にする」というところに、童心にも似たファンタジーがあるような気がします。


ひらがなのこくごじてんが店先に平積まれていて春が愛しい 西改美希

「『春が愛しい』って言っちゃう??」ってずっと言ってた覚えがあります。平積みの国語辞典に春を感じる人は、もう春に対して愛着ありそうですよね、という問題です。あと、この「平積まれて」の語法は、短歌バトルにおける北海道短歌会の歌の、「夏風邪に半びらかれるくちびるのすこしうかつな夢魔だねきみは(岐阜亮司)」の「はんびらかれる」と似ている「動詞的名詞の動詞化」が使われているな、という話になったと思います。


そのほか2首、安錠さんと僕のほうから歌が提出されました。
また、新入生のかたも見学にいらっしゃってくれました。ありがとう!

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新歓お花見について

以前お知らせしていた、文芸系サークル合同お花見会について詳細をお知らせします。
直前のお知らせになってしまい、大変申し訳ありません…。

・文芸系サークル合同新歓お花見会
   日時  4月11日 お昼休み(12:00〜13:00)
        4月20日 お昼休み(12:00~13:00)
 
   場所  豊中キャンパス浪高庭園 (図書館の近くです)
        ※雨天の場合は、共通教育棟ピロティを抜けた先の、C棟下の机が並んでいるところで行います。

おにぎりやパン、お菓子などがあるのでご都合のつく方、ぜひぜひお越しください!!

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新歓期の歌会日程のお知らせ

阪大短歌会の新歓期における歌会の日程をお知らせします。

  ・阪大短歌新歓歌会
     4月7日(金)  15:00~ (@豊中キャンパス 全学教育総合棟Ⅰ-1階 カルチェ)
     4月13日(木) 18:00~ (同上)
     4月17日(月) 16:30~ (同上)
     4月19日(水) 17:00~ (同上)
     4月26日(水) 17:30~ (同上)
     4月28日(金) 16:30~ (同上)

以上の日程で行う予定です。なお場所に関しましては変更の可能性がございます。その際は事前にご連絡差し上げます。

途中参加・途中退場ももちろんOKです。
歌会に参加したい方や歌会を見学したい方はぜひ一度下記のメールアドレスまでご連絡ください。
handai.tankagmail.com (打ち込む際に★を@に変えてください)

短歌なんてよくわからないけど…という方も大歓迎です。少しでも興味をお持ちの方、気軽にお越しください!


また別の日程で、大阪大学の文芸系サークルが合同で行うお花見会もあります! 
     ・文芸サークル合同新歓お花見
            4月11日(火)
            4月20日(木)
こちらは、大阪大学の文芸系サークルが複数集まって、豊中キャンパス内でお花見をするイベントです。
短歌以外のことを行っているサークルさんも沢山来られるので、ご都合のつく方はぜひいらしてください!
詳しい場所や時間は決まり次第お知らせいたします。


     

  

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3月18日 歌会記録

15時50分BIGMAN集合。いつもとちがいみんなちゃんときてビビる。
まだ詠草印刷できてないよ!!!
16時10分から17時45分 みじかい
モンスーンカフェ@梅田にて 熱帯だ
晴れた日です。春の、それでもまださむい日。

めずらしく、大学の外での歌会。
(いつもは平日の学内なんですけどね)
7人あつまりました。 ありがとね



題詠「熱」

<題詠>とは、それを使って歌を詠んでくださいということ。
それならば個性のでる語がいいなと思って、今回はこれを選びました。
角川学生短歌バトルに渡邊君が出した歌の影響もあるのかも?
阪大短歌会の「熱」まで感じさせられたら。
手でつくるきつねがきみに近づいて熱ごとさらってしまえるならば/安錠ほとり

 一読して(?)となった会員がほとんどでした。「手で作るきつね」は手遊びのアレだとわかりますが、それが何故「熱」を奪うのか? ここで「君」=子ども説が出ました。なるほど、そうすれば(悪熱に苦しめられている子に対する親の心情を歌ったもの)と読めますね。
 ただ、この歌意はなかなか伝わりにくい。「君」=恋人として読みがちであるというのが一つ。それから歌の中で視点が変わっているから、との指摘。初句が親目線であるのに対して、二・三句は擬人化=「きつね」目線であり、四・結句でまた親目線に戻る。一首のなかでここまでころころ変わるのはなぁ、と。
 ただ同時に、この<ねじれ>がこの歌の上手さにも思います。「きつね」は手そのものではありますが、「きつね」を結ぶことで手とは別の存在になる。だから「さらってしまえるならば」という願いの対象に成りえる――熱をさらった「きつね」は解かれて、熱と共に消えるのです。そんな呪詛のロジックが<ねじれ>として表されている、とは言えないでしょうか?

歯みがき粉なめつつ兄が狂熱の相手をそっと教えてくれる/守嶋牧緒

 ほとんどの会員が思い描いたのは(歯みがきをし、口の端から泡を漏らし、それをなめている兄)でした。しかし誰かが(チューブから直接歯みがき粉を吸い、なめる兄)という情景を立ち上げる。
 「狂」という一字の強さのためだと思います。この字は「兄」に全く係ってないけれど、係っているように思えてしまう。それは「狂熱」という語が一般的ではない上、「狂」った「兄」というイメージはしやすいからです。まあ要は空目ですが、短歌において空目って意外と重要のように思います。
 歌会だと、個人の内に生じたそんな偶然が共有されます。そして伝染る。そんな解釈ありえへんわと思いながらも、ヤバめの兄が頭にチラつく。今回の司会の名前や、司会が兄であることとも何か関係あるんですか?

われわれに短歌を詠ますこの熱がなくなるまでをじっと感じる/神垣文明

 ――『こんな歌読むの、一人しかいないよね』『「われわれに」って、勝手に含めないでほしい』『これすっごい甘いんだけど』『いやだって、シロップ2つも入れてたし』『熱があって詠んでる?そんな修造みたいな感じなの、みんな?』『追加注文していいんですか?メニュー取って』『「までを」って、どういうことなんですかね』『いま実際に短歌の熱はなくなってるところ?それとも、』『「感じる」って』『はい』『この後って結局どこ集合?』『うーーーん、』『杏仁豆乳?』『歌会こないで追いコン来るのがワタナベくんだけだから、直接店でかな』『なるほど』『時間は?』『そういえば最近さ、』『まあ45分くらい出ようか』『え、17時?』『というか、結局どこで飲むんですか?』『いや、18時』『東通りっぽい』『あと1時間もないやん』『じゃあ茶屋町からだったら、』『……そろそろ次の歌いった方がよくないすか?』

砂漠に降る熱湯の雨を(いつだろう)愛だと思い始めてしまった/山田誠久

 「熱い雨」だったら、現実の情景として読めるでしょう。しかしこの歌では「熱湯の雨」、人間が触ってられないような温度を示すように読める。この一語で、この歌は空想の情景になり、さらに抽象性を帯びている。
 ()の必要性の話がでました。この歌の場合、「(いつだろう)」が「愛だと思い始めてしまった」に係るのであればパーレンはいりませんから、「熱湯の雨」に係るのではないかとの意見。対して、上の句・下の句の切れを跨いで「愛だと思い始めてしまった」に係るからだ、という意見も。個人的には、「砂漠に降る熱湯の雨を愛だと思い始めてしまった」で完結した文であることを考えて、これ全体に対して係る、と読みたいです。
 「思い始めてしまった」というのも意味深な言葉ですね。雨=愛という図式を信じている私がいる一方で、それを信じ切れていない私がいる。この二重性が、()の挿入による文の階層化に呼応しているようにも思います。そしてそれは「愛」への葛藤に似て見えるのです。
 ちなみに、砂漠における死因の第一位は溺死、だそう。

碧天の光を返す熱砂には何を言おうとまぼろしの君/佐原キオ

 「碧天の光を返す」が無駄ではないか問題。つまり「熱砂」という言葉だけで、それを熱しているであろう太陽や、それが浮かんでいる青い空を含んでいるのではないか、ということ。三十一音しかない詩型なんだから省けるとこはハブこうぜ的なね。最初は、どちらかというと必要ない派だったのですが、皆の話を聞いているうちに考え方が変わってきました。というのも、この歌の核が「まぼろしの君」にあるからです。
 「まぼろしの君」とは、熱砂の熱による陽炎(のイメージ)だというのが概ね共通の読みでした。その「まぼろしの君」が存在するのは「熱砂」と「碧天」の間。つまり「碧天」という語によって「まぼろしの君」が存在している空間が設定されているのです。さらに「の光を返す」と続けた部分は、「熱砂」の序詞として機能しているように思えますし、「まぼろしの君」のイメージを引き出しているようにも。丁寧なつくりです。
 「何を言おうと」は佐原君って感じ。これがあるから、真似できそうで真似できない一首だと思います。

心臓の熱の朱色を晩冬の影に重ねてひとつだけ置く/森川雄大

 実景に引き寄せれば、(冬の日に自分の影を見ており、その影の心臓があるあたりに頭の中で朱色を重ねて見る)といった読みができるのでしょうか。ただ、この歌はそれだけで終わるものではありません。誰かが言ってましたが、詩的性質が強い一首。おそらく「晩冬の影」という語が効果的で、「晩冬の(只中にいる私の)影」と共に「晩冬(それ自身の)影」というイメージを重ね合わせている。また(頭の中で朱色を重ねて見る)ではなく、(椿を置く)という行動にも推測できる。こうした<多重性>は、物語にはまれな詩特有のものではないでしょうか。
 そしてその<多重性>を、不確定のまま受け入れるだけの器がこの歌にはあるように思います。「心臓」・「熱」・「朱色」と要素は分離され、「晩冬」・「影」と対比をなし、「重ね合わされる」で統合される。そして「ひとつだけ」という言葉が響く。個人的には、(心臓がひとつだけあるの生物という偶然への寂しさ)を感じました。冬の凛とした空気のなかに、熱が確かに感じられる一首です。

微熱もつ後ろめたさが溶けてゆくランドセル帰る道の匂いに/西改美希
 
 読みが大きく二つに分かれました。
 ひとつは、(微熱を出した大人が、小学生が帰るころの通学路を歩いており、後ろめたさを感じている)という読み。この読みを誘引したのは、「ランドセル」という提喩です。小学生自身が、自分のことをこう語ることはない。なので小学生以外の(私)という視点があって、それが微熱をもっているし、後ろめたさも感じている。もうひとつは、(微熱を出した小学生が、早退して通学路を帰っており、親に熱を出したと告げる後ろめたさを感じている)という読み。「微熱」と「うしろめたさ」が結びつくのは、やはり小学生であるのが説明しやすいから。そしてそれを眺めている(私)がいる。
 このように解釈が分かれるのは助詞抜きのせいだ、という意見。たしかに「微熱」「もつ」や「ランドセル」「帰る」などの関係性がもう少し分かれば、解釈は定まるのかなと思います。ただ最近、助詞抜きの力を感じたことを思い出します。同じ作者の「二十年生きて迎える第六次ショートカットのわたし、頼むよ」なんかは、助詞抜きが魅力になっています。
 そしてやはり、その文体と意味内容が調和しているのが彼女の魅力だな、と思います。この歌も、後者の読みに準拠するなら、忘れてしまうような心情を思い出させてくれる。彼女の歌のもつ暗く懐かしいムードは、助詞抜きが醸し出すものに思います。
 
 


自由詠

<自由詠>とは、なんでも好きにつくったものを出してくださいということ。
これについても色々話しました。でも隠しておくので、まずはあなたの感性で。
もし興味がでてきたら、ぜひぜひ歌会に来てくださいね!
(そして入ってくれ~~~!)
本質は詩だから何度でも僕はあなたの前で諦めている/山田誠久
諦めるしかない気がする、でもどうしても諦められない。熱。(まったく)
キャッチミー★法に守られない薬飲んで乗り込むかわいいバイク/安錠ほとり
毒こそ、詩の本質だと思います。これからもどうかそのままで。
かわいい人が鼻をかむとき鼻のしわまでかわいくてずるいかわいい/西改美希
わかるー。同時に鼻かむ時にかわいくない人はいないとも思うんです。
涙出るほど笑いこけ口中にあぶくを溜める真昼のシャワー/守嶋牧緒
見た目とは裏腹な言語センスにいつもビビってました笑さすが文芸界隈の女王
(非公開)/佐原キオ
非公開てなんやねん。出し惜しみすな。賞とらなかったらマジ許さんからな:))
アーキタイプ・エンジン・パワー・スイッチに這わせた指が見せる振動/森川雄大
いつまでもまけずに小難しくを語り続ける人になってください。いやほんまに!
しばらくは戻らぬ町の改札に引っかかって ふりむくと青/神垣文明
もう少しがんばりましょう。これからもよろしく。
花びらはいつか散るから坂道にうつむいていても花見ができる/あかみ
明る気にみえる君のどこにこんな暗がりが隠れているんだと思う。でも、そんな歌でも明るさを感じてしまうのは、たぶん名前があかみだから(冗談)。この歌、見た目がめっちゃいいですよね。この字の織りなす陰影が、春そのものだと思いました。春って一般的には明るいイメージですけど、やっぱり暗いと思う。同感です。井之頭公園で花見しましょ。

終了後、あかみさんと共にハンタンを追い出されました。
たのしかった ありがとう


あたたかい日に、感謝をこめて。
また、まだ見ぬ後輩へ。

(文責:神垣文明)

プロフィール

阪大短歌会

Author:阪大短歌会
大阪大学の短歌サークルです。
メール:handai.tanka@gmail.com
twitterアカウント:handai_tanka

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